大学卒業「Episode of yone」

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2016/06/19 00:00

旅とは関係ないですけど35才を目前にしたトコでやっと大学を卒業したので報告しようかと。
そもそもプロフ以外で自分を語ることもなかったのでいい機会と思って。
中国に来るまでのこともここで少し話しとこうかなと。
旅関係ないし少し長くなると思うので興味ない人は飛ばしてください。
僕は普段過去を語りません。楽しい話じゃないので話したくないし話せないことも多い。
普通の人の青春、高校から大学、16才~22才の頃は僕にとっては地獄のような毎日で
中卒で18で家出した頃は特に住む場所も食うもんもなくてやっとこ仕事見つけて少し稼いだと思ったら友だちと思ってた人にむしり取られて・・・
人夫出しで泊まりこみで働いててそこで知り合った先輩と夜逃げしてチンピラの巣窟みたいなトコに寝泊まりして悪い事してたのがドン底で
幸か不幸かその時骨折して働けんなら出てけ言われて実家戻ったら自分から家出しといて骨折れたくらいで帰ってくるな言われて
ポッケに500円しか無くなってコンビニで見た「三食完備寮付き前借り可」の工場の求人を見て骨折を隠して受けて北九州の日産に。
人夫出しから工場の最初の2年位18~20才過ぎが一番苦しくて毎日死にたいと思ってた。
成人式に帰った地元でヤクザだのルンペンだの言われて地元嫌いになって県外をウロウロすることに。
今でも福岡は好きだけど那珂川の村社会みたいな排他的な雰囲気は好きじゃない。
日産の後岡山の三菱に行って群馬のダイハツの大分工場移転手伝いに行ってその後愛知のトヨタから苅田のトヨタ、大分のキヤノン、下関の液晶パネル工場、宮若の豊田合成と工場を転々と10年。
三菱時代にそれまであちこちで借りててたお金を完済してやっと自立出来た。
死にたいほどは苦しくなくなったけど夢を見ることとか無かった。夢を見ることが夢だった。
ちょうど「派遣切り」がブームの頃で派遣の自分はいつ切られるかどうやって食いつなぐかだけ毎日考えてた。
25の頃トヨタに行ってやっと貯金ができるようになった。
その後九州に帰って30前にやっと目標が出来た。中国留学。学位なんて要らないから学生気分を味わってみたかった。
もともと中国の文化や歴史が好きだったのと27の頃に付き合った中国人留学生の影響もあった。
2010年北京に行くも言葉の壁に直撃。2011年に再度上海へ、上海金融学院に入る。
子供の頃から「仕事は苦しいことをしてお金をもらうこと」って教えられて楽しいことは害にしかならんと思ってた。
毎日好きな勉強してまた新しい疑問に出会って新しい研究をするって最高に楽しいループの毎日は
楽しいと同時にこんなに毎日楽しいことしちゃイケないんじゃないかみたいな不安や罪悪感がずっとあった。
2年やって口語はほとんど今と変わらないレベルになって当初の目標は達成したけどある事がきっかけで本科留学を目指すようになった。
知り合いに連れてかれた飲み屋で話しかけてきたオッサンに言われた事。
50そこらで中国10年以上だけど中国文化もさっぱりで中国語も出来なくて飲み屋と風俗情報だけ異常に詳しい僕の苦手な部類の人。
その人にその時言われた言葉は忘れない。
「高校も行ってないのに歴史やら文学やらインテリぶんなよ」「田舎の学校で語学留学して中国語少し出来るようになったからって調子乗ってんな」「中卒ってだけでお前の言葉には何の説得力もない」「日本でダメな奴は外国に来てもダメなんだ国は変わっても世界は変わらない」
現採の焼き鳥屋の雇われ店長になんでそんなこと言われな・・・と思いつつ言い返す言葉がなかった自分が情けなくて悔しくて何日も寝られなかった。
「学歴なんて関係ない」とか学歴ない人間が言えばただの言い訳でしか無い。言わせないには自分が向こう側に行くしか無い。
人生で初めて努力をしてみた。
いったん日本に帰って高校卒業程度認定試験受けて2013年秋に合格。
2014年春に飛び級のためのHSKテストを受けてパスして14年秋に上海師範大学対外漢語学部に三年次編入、漢語国際教育専攻を学ぶ。
そして2016年6月15日、無事に卒業しました。






ついでに優秀卒業生として表彰を受けました。


ひと回り以上年下の同級生にほとんど同い年の先生たち。












正直社会的には30才中卒が35才大卒になったトコで評価が大きく変わるわけじゃなくてむしろ30才からの5年間を捨てたってのでマイナスも大きい
それでもやっぱり嬉しかった。大学入ってよかった。卒業証書もらって過去のいろんなことが思い浮かんだ。
普通の人からすれば本科卒なんて当たり前に通過する道かもしれない。
でも自分からすると道無き道を自分で切り開いてやっと辿り着いた道だった。
卒業後尊敬してる教授がwechatにコメントくれた。
「お前の歩いた道は他の人が歩いた道とは違う。遠回りだったかもしれない、狭く険しかったかもしれない、時に孤独だったかもしれない。ただその道を経て今のお前が今ここにいる。苦しい過去を忌まわしい記憶にするな、その苦しみがお前を魅力的な人間に磨きあげた。その屈辱が、挫折がお前を強くした。その経験こそが他人にない個性で財産なはずだ。」
と。1人ベッドで涙しました。
20年近く縛られてた低学歴コンプレックスからやっと開放される。
もしこのブログを見てる人に似たような人がいたら言いたい。やりたい事はやれ。言い訳を探すな。
お金がない・・・年齢的に今更・・・無学で頭が悪いし・・・
俺は契約社員の給料だけで貯金してここに来たし、他人の援助は一切ない。自分の稼いだお金だけで5年間やりくりした。
中卒から15年勉強してなかったけど30才から挑戦した。
俺なんて・・・とか今更・・・とか思ってもそれはやらない理由にはならなかった。
もしかしたら40才中卒の人もいるかもしれない。俺よりもっと今更と思うかもしれない。
でも今日やらないと明日はもっと今更になる。残りの人生で今が一番若いんだから今やりたい事は今やらないとどんどん今更になって何もできなくなる。
やらない言い訳を探す暇があるくらいならやる努力をしたほうがいい。
やるのに理由はいらない。「やってみたい」で十分だから。

上海

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